Tephra blog

大学4年間に綴る日記的なもの

出会いと別れ 一人旅

今私は石巻の被災地を視察、その現状を心に刻み、東京へ帰るバスの中にいる。

 

そして、特にすることもなく、旅や出先から戻るときはいつもの事だが石巻の良さと石巻を別れる悲しさ、寂しさを感じており、ピアノクラシックがグサリと心に刺さる。

分かる人がいたら嬉しいがシューマンの森の情景、別れ は緑豊かな田舎に別れを告げる自分に重なり、感傷的にさせてくれる。

 

 

 

鹿児島のゲストハウスで会った人に言われた事だが

 

 

誰かに会って仲良くなる

そして必ず別れというものがやってきて

悲しみや寂しさを感じる

たまたま今日ここで

偶然にも出会っただけで

もう一度会えるか分からない

その事を何回も経験し

知っているのに

また新しい出会いに心躍らせる

 

 

確かにそうである。

大学に入ってから私は周りの人がヒくくらいに一人で行動し、様々な出会いを経験した。

いや、むしろ友達と一緒ではこの出会いはなかった、とも感じる(勿論、友人は友人で好きである)。

例えばゲストハウスでも、一人でいたからこそ、他の一人の人が一人の私に声をかけられるし、それぞれの人生観を食事を介して話し合える。

貴重な一人の時間、

それが生んだ偶然の出会い。

しかしながら必ず別れがやってきて

各々が進む道へと進む。

 

旅人は無意識のうちに自分の人生にこの繰り返しを求めているのかもしれない。

 

一人旅は寂しくないのか、とよく言われる。

ちょっと前まではイヤミを言われているのかと思っていたが、もうそう感じることはない。

結論は一年経って出た。

確かに一人旅は寂しいものである。

しかし、それは友達や彼女がいないから寂しいのではなく、出会いに対する別れが寂しいのだ。

 

一人旅は無数の出会いの可能性、そこにあるのだ。

 

(といいつつ、彼女、欲しいものである)

 

【補足】

私は「旅行」と「旅」は別物と捉えており、「旅行」が楽しみが内部で生まれ、内部で完結するもの(つまり個人や属する集団で完結するもの)、「旅」は楽しみが外部と内部双方から生まれ、双方に寂しさを与えるもの、と感じている。

当然、優劣をつけようとは思わない。

家族や友人、彼女と、若しくは趣味で一人で「旅行」をすることもいいと思う。

 

【補足2】

今回の石巻被災地の視察は一人旅ではなく、かねてから被災地の現状や被災地に住む人々を知り、今後の人生に活かしていきたい、と感じ、視察団に応募した次第である。

自分の知らない領域というべきか、自分が無知なだけかは分からないが、この視察は想像以上のもので、被災地の新たな課題や浮き彫りとなった問題、そしてそれに携わる方々の人生観、非常に勉強になったうえ、コミュニティ形成と共生に何が必要なのか、今の自分にできることは何なのかを知ることができた。

旅とはまた別に夢がない私がやりたいことが少し見えた気もする。